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西門町台北天后宮の沿革紹介 |
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「台北天后宮」は、1746年に艋舺(万華)で「新興宮」(地元では、「艋舺媽祖宮」と呼ばれています)という名で建立されました。日本統治時代の後期に、防空道路を建設するために取り壊され、神像は信者によって一時的に龍山寺後殿に移されました。第二次大戦後、当時、市の教育局長であった黄啓瑞氏が、「新興宮」媽祖の庇護に感謝し、中央政府に申請し、西門町の「新高野山弘法寺」に移転させることに成功し、1948年の旧暦6月1日に本宮の信者が神像を迎え、移転しました。後に本宮は、火災や再建、台北市の改制などの日々を経ましたが、元「新興宮」の香の火は守られ、悠然と艋舺地区と西門町の発展を見守り、本宮260年の歴史的地位を確かなものにしています。 |
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